|
2004年度の方針
私のランチュウに関する基礎形成と大野養魚場
私自身を振り返ると、趣味でランチュウを始め、1973年より養魚場を開きましたが、
今日に至る私のランチュウ飼育に関する基礎は大野三男氏から教わったものです。
当時は今のようにインターネットなどなく、実際に大野養魚場に足を運びながら
直接様々な指導を頂くのが普通で、毎週毎週通わせて頂きました。
そんな中で最も教わったのは順育の大切さです。
実際、大野氏の「ランチュウ中心 金魚の飼育と繁殖」にも記載されている通り、
普段の飼育でも順育を非常に意識され、私自身も大きく影響を受けたと思います。
そんな大野三男氏は広大な養魚場経営をされながら、錦蘭会を毎年の最大の目標とし、
京都筋を取り入れた浜松系ランチュウの育成をなさっていました。
そして2004年春、大野氏を見習うべく、私自身も錦蘭会に参加することを決め、
2005年度からの出品を目指して試行錯誤することを開始しました。
以下に大野養魚場の紹介をさせて頂きます。(※写真:1997年撮影)
大野養魚場の出入口
大野養魚場の全体写真
これら全てのタタキ池がランチュウの為だけに使用されます
当歳用のタタキ池で2m×2mの広さがあります
池同士をつないでいるのはサイホンで行う排水用ホース
弐歳や親用のタタキ池
当歳用よりも広く深い水深のタタキ池が使われています
大きな養魚場であるにも関わらず、きっちりと管理が行き届いています
ホースなどに足を引っ掛けて転倒しないように整理整頓を教わりました
波板と発泡スチロールが設置されたタタキ池
水温と親魚の泳ぎの調節(運動抑制)を行う目的で設置しています
大野三男氏と大野ランチュウ養魚場
私自身、趣味でランチュウ飼育を始めた1960年代以降、もっとも足を運んだのが大野養魚場です。
大規模な飼育施設でランチュウだけを専門に扱い、郡山愛魚会を開催されていた大野三男氏からは、
飼育に関する様々な指導を直接頂き、その内容は「ランチュウ専門 伊東養魚場」の基礎となっています。
大野三男氏は1976年発行の「ランチュウ中心 金魚の飼育と繁殖 : 文研出版」の著者でもあり、
その中でも100頁に渡る「第3章 繁殖・育成をふまえた飼育管理の一年」は現在でも高い評価があります。
大野ランチュウの特徴
大野ランチュウとは、奈良県大和郡山市の大野養魚場にて飼育され続けてきた大野三男氏の血統ですが、
その中身を今の言葉で表現すると、京都筋を取り入れた宗家筋の浜松系ランチュウに属すると言えます。
1990年代後半以降にランチュウを始めた愛好家は、宗家筋と京都筋の混血に違和感を感じると思いますが、
宗家筋と京都筋の分岐点は1980年であり、当時の宗家筋と京都筋には今ほどの違いはありませんでした。
そんな大野ランチュウの特徴は、浜松系から来る太身、宇野系から来る獅子頭と綺麗な鱗並びを兼ね備え、
もっとも特筆すべきは仔出しの良さで、当時、品評会を目指す多くの愛好家が大野氏の血統を求めました。
また、素赤の系統であるのも特徴で、更紗模様の美しさを認める一方で、模様により損得が生じる事を嫌い、
「ランチュウの美しさを最も明確に表現できるのが素赤である。」という大野三男氏の哲学がありました。
大野三男氏 入賞魚(1994年 錦蘭会「秋季品評大会」 弐歳魚立行司)
|