らんちゅうとは
1.金魚の王様としてのランチュウ
日本人の美意識が育てた最高峰の品種
ランチュウは「金魚の王様」として昔から日本で親しまれている特別な金魚です。
しかし、なぜ沢山の種類がいる金魚の中で、ランチュウが「金魚の王様」なのか?
その1つ目の答えは、ランチュウが金魚の中で最も改良が進んだ最高峰の品種だからです。
そんなランチュウは、今なお継続して改良されており、品評会の世界では
何もしないでいると3年程度で過去に取り残されてしまいます。
また、ランチュウの改良には終着点がない事から、いつまで経っても完成しません。
そんな「未完の美」が日本人の美意識に受け入れられ、特別な金魚になったとも考えられます。
2.ランチュウの歴史・・・@
江戸時代におけるマルコの日本への伝来
金魚の始まりは、西暦370年に中国の南シナ地方で赤いヒブナ(金鰤)が発見され、
それを飼育したのが最初であると言われています。
その後、中国では変種の選別淘汰が行われ、様々な新種の金魚が新たに誕生して来た中、
江戸時代の日本に、当時、貿易が許されていた和蘭陀人(オランダ人)によって、
ランチュウの原種となるマルコが支那の国(中国)から長崎の出島に持ち込まれたと言われています。
これは、寛延元年(1748年)の安達喜之著による金魚養玩草に卵虫(らんちゅう)として記され、
その翌年発行の金魚秘訣録に描かれております。
なお、ランチュウは「卵虫」や「蘭鋳(魚偏が付く)」や「らんちう」と表記されますが、
これらは当て字として考えられています。
3.ランチュウの歴史・・・A
マルコからランチュウ・大阪ランチュウ・ナンキンが完成
現存している最古の記録として、江戸時代の明和元年(1764年)に刊行された
「萬芸似合袋」に獅子頭らんちゅうという明確な記述が存在します。
さらに、文久2年(1862年)に大阪で、「大阪らんちゅう(オオサカランチュウ)」の品評会と
「らんちゅう」の品評会が同時開催され、その時の番付表が現存している様です。
日本では既にこの頃から品評会が盛んになっていた様で、明治4年(1871年)の
「元祖丸錦四季詠」にも品評会の記録が残されています。
4.ランチュウの歴史・・・B
最古の愛好団体である観魚会とらんちゅう宗家の誕生
明治になって、東京を中心に庶民の間で魚の姿を競う会合がますます広がる中、
現代ランチュウの基礎を完成させたのが初代石川亀吉氏らのグループであると言われています。
つまり、ランチュウは日本で創り出された金魚と言う事です。
初代石川亀吉氏らのグループが中心となって明治17年(1884年)に観魚連を立ち上げ、
翌年の明治18年(1885年)に記念すべき第1回品評会が行われました。
その後、明治33年(1900年)より観魚会と改称し、大戦を乗り越えて現在に至っています。
なお、観魚会と錦雛会と東京らんちゅう会の中心人物と各地の主だった人により、
昭和16年(1941年)に全日本らんちゅう連盟を創立する運びとなった際に、
大きな功績を残した石川家に「らんちゅう宗家」の称号を贈呈したと言われています。
ランチュウに関する主な当時の歴史
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5.ランチュウの歴史・・・C
ランチュウは世界でも他に類をみない動物。
大震災や太平洋戦争(昭和16〜20年)を潜り抜け、再びランチュウが全国に広まる中、
昭和31年(1956年)に「日本らんちゅう協会」が設立されました。
これによってランチュウは今まで以上に普及し、今日に至る発展を続けてきました。
その間、日本各地ではそれぞれの産地に特徴的な姿のランチュウが次々と登場し、
系統という言葉に産地名を付けて使われる様になりました。
しかし、未完の美と表現されるランチュウは、今なお猛烈な勢いで改良が続けられ、
最近では生産者単位での系統が使われつつあります。
6.商売としてのランチュウ
ランチュウだけで商売するのは難しい。
ランチュウは飼育に手間や経費があまりに膨大に掛かる割には魚自体の単価が低い上に、
品質の維持も難しい事から、なかなか商売として成立するのもではありません。
それにも関らず、これ程の短期間に驚く程の速度で姿が変化し、
いまだに改良の勢いは衰えを知りません。
この様な動物は世界でも他に殆ど例を認めませんので、 ランチュウに対する
愛好家の熱意は、世界一と言っても過言では無いでしょうか。
7.伝統あるランチュウの系統
宗家筋と京都筋と大阪筋の3つの系統がある。
今のランチュウの系統は、大別して宗家筋と京都筋と大阪筋の3つに分かれ、
これらは同じランチュウと呼ばれるものの、全く別種類の魚と認識するのが普通です。
宗家筋は石川宗家由来の魚で、協会系(日本らんちゅう協会系)とも呼ばれます。
宗家筋の魚に共通する事として、力強さと尾形と泳ぎを重視する傾向があります。
京都筋(宇野系)は宇野仁松氏が、宗家筋と尾島茶尾蔵氏の魚から創り上げたもので、
起源が尾島筋である為に尾島筋とも呼ばれます。
京都筋の魚に共通する事として、肉瘤のつき方と色柄を重視する傾向があります。
大阪筋は江戸時代に出来上がったランチュウの原型を、そのまま維持させたもので、
明治から大正にかけて関西で大流行しましたが、大戦の影響で絶滅してしまったと言われています。
ただ最近、その血が見つかり保存・普及させる活動がある様です。
●伝統あるランチュウの系統
宗家筋・・・力強さと尾形と泳ぎを重視して創り上げられた系統。
京都筋・・・肉瘤のつき方と色柄を重視して創り上げられた系統。
大阪筋・・・江戸時代の原型をそのまま維持させて来た系統。
※3系統は全く別種と認識されるのが普通です。
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8.日本における金魚の産地
日本の金魚の三大産地
歴史的にみると、奈良県大和郡山、愛知県弥富、東京都江戸川が日本の金魚三大産地となりますが、
都市化によって江戸川の生産者は減少し、残った生産者も養殖所を埼玉や茨木に移転されています。
したがって、最近では金魚の生産量や生産者数から、奈良県大和郡山、愛知県弥富、熊本県長洲を
日本の金魚三大産地とする場合もあり、埼玉・茨木・山形・新潟も産地として知られています。
奈良県:大和郡山
1724年、藩主の柳沢吉里が甲斐の国(山梨県)より金魚を導入したのが始まりで、
以後、武士の副業として金魚の生産が本格化、最盛期は金魚の生産量日本一を誇っていました。
現在でも金魚田が広がる風景が見られ、毎年行われる「全国金魚すくい選手権大会」が有名です。
また、やまと錦魚園の郡山金魚資料館も昔からの観光スポットとして知られています。
主な品種:和金、琉金、出目金、ランチュウ、オランダシシガシラ、頂天眼など
イベント:大和郡山お城まつり(3月)、全国金魚すくい選手権大会(8月)
愛知県:弥富
1860年代、大和郡山の金魚商人が熱田宿(東海道五十三次の41番目の宿場・名古屋市)へ
向かう途中、金魚を休ませる池を弥富に作ったのが始まりで、明治以降に農家の副業として
金魚の生産が本格化しました。
現在、金魚生産量や出荷額は日本一であり、流通拠点としても有数の市場となっています。
日本にいる金魚の全品種(25種類)が弥富で手に入り、弥富ブランドとも言われます。
1994年、弥富産の金魚6匹が研究目的でスペースシャトル「コロンビア」に
搭乗したのも有名で、宇宙酔いや骨粗鬆症の新薬開発につながる事が期待されています。
主な品種:全品種
イベント:弥富春まつり金魚品評会(4月)、全国金魚日本一大会(10月)
熊本県:長洲
歴史的には1624〜1652年の細川藩奉書の中で、長洲での金魚の記録が残っています。
生産が本格化したのは明治以降、大正時代に長洲で作出されたジャンボオランダが有名です。
日本でただ一人の「金魚のふれ売り師」が存在し、古き良き文化を伝え続けて下さっています。
また、金魚の展示施設である「金魚の館」が2012年にリニューアルされ、
観光スポットになっています。
主な品種:ジャンボオランダ(ジャンボ獅子頭)、琉金、出目金など
イベント:火の国長洲金魚まつり(5月)、金魚と鯉の郷まつり(10月)
東京都:江戸川
明治時代から金魚の飼育が始まり、海外への輸出などを背景に生産が本格化しましたが、
戦後の都市化により、堀口養魚場と橘川金魚養魚場の2軒の営業所が残るのみとなりました。
しかし、江戸川金魚の伝統は健在で、移転先の埼玉や茨木でもしっかりと受け継がれています。
また、江戸川は高い品質に定評があり、弥富ブランドと並ぶ江戸川ブランドになっています。
主な品種:琉金、出目金など
イベント:日本観賞魚フェア(4月)、江戸川区金魚まつり(7月)
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